10.前回の「ヴィーンの謝肉祭の道化」のシュミット盤の項でも書いたが、旧東ドイツのエテルナレーベルは日本では「シャルプラッテン」レーベルとして現在に至るまで永年発売されているが、本国ではドイツ統合後ベルリン・クラシックスという会社に姿を変えている。しかし、たとえばチェコでスプラフォンの新譜が殆どでなくなったのを見ればわかるように、旧社会主義圏の国営レコード会社の中では旧エテルナは最もうまくその後の経営の安定も獲得できた幸せな例だろう。輸入盤が千円以下で投げ売りされているが、レパートリーはドイツものに偏るものの、バッハから現代音楽に至るまで、内容の水準は極めて高いものが少なくない。日本でも限定版ではあるが1000円という値段でいい演奏のものが次々国内盤としてリリースされている。

 今回紹介するレーゼル/ゲバントハウスQのCDもそうしたもののひとつ。1984年録音であるにもかかわらずアナログ録音。

 実はこのCDを買うのは国内盤発売時以来2回目である。1回目のCDは? 学生時代の今より更に貧しい時代に生活費のために売りに出された。要するにこの演奏が気に入らなかったのである。何か凄く鈍い、反応が遅い演奏、しかも録音も何か今一つ鮮度がないと感じた。

 しかし今回、当時の3分の1の値段で買って聴くと、記憶の中の演奏とは殆ど別のものにしかきこえないのである。もちろん当時と現在のわたしの装置は全部入れ替わっている。それに、当時の私はブダペストヴィア・ノヴァのような元気が良くて快速で凄くリズミックな演奏になじんでいたので、この演奏を地味と感じたのかもしれない。しかし、もしかするとリマスタリングの質が上がったのではなかろうか。以前はここまで透明度がなかった気がどうしてもするので。

 結局、私が手に入れた、ここ十数年に録音されたヨーロッパの演奏家のオーソドックスなスタイルの演奏の中で私が録音・演奏すべての面で一番満足したのがこの演奏である。奏法、音色、技巧、解釈すべてが全く破綻なく溶け合っている。旧東欧圏の楽団独特の、ヴィーンの音色に比べると暗めだけれども、決してふやけることはない、柔らかさとくっきりした感じが両立する、スモークグレーに少しだけ緑を混ぜたような色の絹のブラウスのような質感の音(……あっ、そうか。要するに、エイサーのパソコンの色ですね)。それでいて、決してのどかでも野暮でもなくて、これもこれでひとつの高度な洗練、独特のすっきりとした質感や必要にして十分のリズムの生気はがあるわけで。

 アルバン・ベルクぐらいまで「近代化」に開き直れば別として、最近のヴィーンの団体の多くは、とてもここまで透徹したひとつに解け合う音色感やようなものはない気がします。どうしても「なよなよと」感じてしまう。バリリの演奏が寧ろ強靱さを隠していることに今回気づいたから、これからは遠慮なくいわせてもらいます。

 どうしてここまでただの一音も非音楽的な音がないのだろう。この作品の中に潜在する狂熱じみたものはあまり感じられないのですが、それを補ってあまりあるコクのある高度に音楽的な演奏。それがアナログ録音としては最高級の透明にしてふくよかな音質で聴ける。バリリは別格として、ステレオ以降のオーソドックスな自然体スタイルの演奏としては、アメリカ産のはボザール、ヨーロッパ産のはこのゲバントハウスのをまずはおすすめしたいと思います。録音のコクと口当たりの良さもステレオでは上位二傑だな。幸いこれは安くもあるし。国内盤でも何軒か探せば限定版の1000円盤必ずまだ店に残ってますから、間違っても通常価格のは買わないように。

 もとよりこの演奏からだけでは、阿世賀のいうところの「性的律動」やら「内田有紀に歌わせろ」やらはピンとこないかもしれませんが(笑)。むしろ、ドイツの古い町並みの写真集でも眺める気持ちでお楽しみ下さい。ただし、そこを行き交う人は結構現代人だったりします。

 そういえば、この作品を公式に初演したのはここで演奏している人達の大先輩たちである。この曲のシューマン家での試演の際のピアニストが当時ゲバントハウスの常任指揮者をしていたメンデルスゾーンであることはすでに書いたが、翌年の1843年、正式初演の際の演奏者は、ここで第1バイオリンを弾いているカール・ズスケの十何代かは前のゲバントハウスのコンサートマスター、フェルディナント・ダーヴィトをはじめとするゲバントハウス管弦楽団の首席奏者たちにクララのピアノで、ゲバントハウスのホールでなされているのである。

 ついでにいうと、むしろブラームスのピアノ曲集の方で名前を知られたピアニストのベーター・レーゼルは、シューマンがしばらく住んだドレスデン生まれで、ロベルトの故郷ツウィッガウで催されたシューマンコンクールで2位の経歴を持つ。……もちろん本場物でもおもしろくないものはおもしろくないものだが、ここでは、演奏者たちの「私たちがやるのが正統派の直伝のシューマンです!」という自信がプラスに働いているのかもしれない。

 政治的には東ドイツの演奏家はいろいろ苦しい思いをしたり(シューマン交響曲全集の名盤でも知られたライプチヒ・ゲバントハウスの往年の名指揮者、コンヴィチュニーがアル中なのはかなり有名な話で、来日公演の時も練習場にはウイスキーのポケットボトルが常備されていたらしいが、彼がアル中だった背景には、政府当局者との軋轢のストレスがあったという記事を読んだことがある)、あるいは一部の著名演奏家は、東ドイツ崩壊と同時にアイデンティティ拡散になったのか、マネージメントの失敗か、引退同然になったり、指揮者のケーゲルのように自殺者も出たりなど、いろいろな矛盾を抱えていたようだ。

 しかし、戦後西側では急速に失われたドイツの伝統を守り通した故の味わいというのはやはりあるのかもしれない。演奏会になかなか行かない私だが、幸いゲバントハウスもドレスデンも(全〜然関係ないけど先日亡くなったチェリビダッケも)聴いた経験はある。実はマズア/ゲバントハウスはそんなにピンとこなかったけれども、ブロムシュテット/ドレスデン国立管弦楽団が聴かせたブルックナーの「ロマンティック」第2楽章のヴィオラの深い音色が忘れられないでいる。あと、録音でしか知らないが、これも1000円盤で出ているベルリン弦楽四重奏団のベートーヴェンも大変好きである。CD一覧に戻る

11.デムス/ヴィーン室内合奏団盤は、現在国内ではDENONが発売しているのでデジタル録音かと思われかねないが、オイロディスク原盤の1979年録音、アナログ末期の安定度の高い音質である。

 既に書いたように、この曲との出会いは、そもそもこの組み合わせのライブを中学時代に聴いたことに始まる。その割にはこの演奏を2番手グループの中にしか入れていないのは、ひとつには前述のバリリ盤のインパクトが大変大きかったということによる。しかし、冒頭和音の厚みの印象を除くと、このライヴで聴いたときの演奏の記憶が何も思い出せないというのは、今このCDを聴いても致し方ないかなとも思えてしまう。

 バリリの演奏と比較すると、最近のヴィーン・フィルの音が近代化されて流線型の音色に近づくと同時に線が細くなり、華奢な性格のものに変化してきていることがよくわかる。デムスのピアノにしても、何か毅然とした活きの良さという点では以前よりも微温的になってしまっている気もする。

 もとより、悪い演奏では全然ない。この水準の演奏でベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの「ます」五重奏曲を聴いたならば、20枚聴いてもベスト5ぐらいには含める可能性がある。だが、このようなスタイルでは、ベートーヴェンもシューベルトもこの曲もすべて「ヴィーン風の室内楽」の枠に収まったおなじような様式の曲であるかのようにきこえてしまうであろうあたりにこの演奏の限界があるのだ。

 私のように、この曲にシューマンのシューマンたる所以としての、室内楽の枠を越えたダイナミズムや狂熱のリズムの饗宴のようなものを期待すると、あまりに上品すぎるということである。この曲に私のような思い入れがない人とにとっては、少なくとも現代の演奏としては、非常に上質で安心して聴ける演奏であろうという点には全く異存がない。

 彼らより更に若い世代のヴィーン派の演奏であるところのヴラダー/アルテス盤あたりになると、更に機能的には洗練され、一層聴きやすい演奏になりはするものの、音色や歌わせ方の練り込まれた洗練という点になると、まだまだ「青い」感じであり、仮にこのスタイルでいくにしても、あと10年ぐらいは熟成した方がいいかないう気持ちになる。このヴィーン室内合奏団盤は、その意味では見事に熟成された大人の演奏です。

 ただ、おなじ伝統熟成スタイルの現代人による演奏でも、前述のゲバントハウス盤の方が、まさにこの曲に必要な「生気」の質を身体で理解している演奏という気もするわけです。CD一覧に戻る

12.このCDのロベルト・シューマン・アンサンブルという団体については、団体としても個々人としてもライナーノーツには何も言及はないが、アムステルダムの録音で、ウィレム・ブロンス(P)、ヒロミ・キクチ、ペルタ・ヴァン・フラサッカー(Vl)、ケン・カキイ(Va)、ダニエル・エッサー(Vc)、ピート・ヘニーグ(cl)という演奏者名が記載されている。二名の日本人を除くと全部オランダ人だろう(故に名前の発音には全く自信なし)。演奏の音楽性の水準や合奏力は高いので、王立コンセルトヘボウあたりの楽員がある程度は加わっているのではないか……と勝手に推測する。このヴァンガードの輸入盤はシュワンにも記載があるし、あちこちの輸入盤を扱う店でかなり頻繁に見つかるものである。

 最初に聴いたとき、演奏も録音もたいへんな好印象だった。大ホール向けの演奏ではない。楽器に無理矢理大きな「張り」の音を出させようとしていないのがよくわかる。ピアノはファッイオリというメーカーの製品のようだが、スタインウエイとは一線を画する、華奢だが細やかな音色を持っている。もとより現代楽器だと思うが。第3楽章の主要主題のピアノに応える弦楽器の合いの手が、普通の演奏のようにジャ−ッ!という形で激しく刻まれることはなく、せいぜいメゾピアノぐらいの音で軽やかに鳴っているのは珍しいが、それが全然不自然にならないくらいに全体の音量的パワーを上げすぎない演奏のようだ。まさに家庭音楽会のサイズで楽しめる演奏を志しているように思う。

 だが、だからといってこの演奏はおとなしい弱々しい演奏などでは決してない。細やかな中にも近代的なすっきりとしたリズム感でくっきりと演奏されている。デジタルの録音も小型の装置で非常に美しく響くであろう、ややライブな音響の、ツヤと潤いのあるヨーロッパ調のみずみずしい音である。非常にリラックスした気持ちで小気味よく聴ける演奏であり、このような演奏も悪くないなとごく自然に感じさせられるものだった。これは今回の大穴CDとしておすすめ品である。

 併録のクラリネットとビオラとピアノのための「おとぎ話」OP.132「朝の歌」Op.133もみずみずしい響きの非常な好演である。ピアノ五重奏とこれらの3曲が共通の質の旬玉の作品として響くあたりにこの演奏の固有の質が現れていると思う。CD一覧に戻る

    

13.ルービンシュタイン/グァルネリ弦楽四重奏団盤は1966年録音。

 このRCA盤のライナーノーツに、プロデューサーのマックス・ウィルコックスの、ルービンシュタインとグァルネリ四重奏団の出会いからこの曲の録音までにいたるいきさつの回想がつづられているが、その概要を訳すると次のようになる:

1965年の6月、私はルービンシュタインとベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の新録音のプレイバックを聴いていた。聴き終わり、私とルービンシュタインはその演奏に大いに満足してたばこで一服していたが、私はルービンシュタインに、「ちょっと普通じゃない録音があるのでお聴かせしたんですが」ともちかけた。それからしばらく二人でグァルネリ四重奏団のモーツァルトのK.590の四重奏曲の第1楽章のテープを聴いていたのだが、満面の表情をたたえていたルービンシュタイン氏は、曲が進むにつれてどんどん没入していき、演奏が終わるやいなや、演奏の自在さとパワフルさを絶賛しはじめた。そして、「この四重奏団に会いたい、これでやっと永年夢みていたピアノ四重奏と五重奏の録音ができそうだ」。

 コンサートのスケジュールの関係で実現するまでに一年を要したが、ついに1966年の12月26日に、この四重奏団の面々はルービンシュタイン氏ののニューヨークのアパートメントをついに訪問した。5分もたたないうちに、ルービンシュタイン氏はピアノに座り、プラームスのヘ短調の五重奏曲の響きが部屋を満たしはじめた。私はそれを押しとどめることができない自分に苦笑しながら、彼らと共にその演奏を堪能したのである。リハーサルは2時間以上に及び、テンポやバランスやフレージングについての事細かな打ち合わせがなされた。全員が胸をわくわくさせながら12月28日10時からのウェブスター・ホールでの録音セッションを待ち望むこととなる。そして翌29日の昼頃にはブラームスの録音は完成した。

 その最後のセッションの日、ルービンシュタイン氏は到着するやいなや、シューマンの変ホ長調の五重奏曲のピアノ・パート譜を取り寄せてくれと言い出した。そして譜面が届くやいなや、全曲弾き通したのである。「君らはこの曲できるかね。わたしとしてはどうしても明日シューマンのこの曲を録音したいのだが」。その日のブラームスのセッションが終わるやいなや、ルービンシュタイン氏は自宅に引き返してシューマンの練習を始め、グァルネリの面々も、アーノルド・シュタインハートのアパートに押しかけて、この曲のリハーサルをすることとなる。

 第1楽章は翌日の午後1時には録音終了。更に夜の11時半までかかって演奏はテープに収められた。シャンパンの栓を明ける響きがウェブスター・ホールに響きわたる。我々はこうして紙コップでこの3日間の労をねぎらいあったのだった」

 確かルービンシュタインはこの頃既に70代半ばを回っていたはずであるが、指揮者と違い自分で音を出すピアニストとしては空前のバイタリティを感じさせる、芸術家気質むき出しの古き良き時代を思わせるエピソードである。

 私はルービンシュタインというと、ラインスドルフと入れたチャイコフスキーのピアノ協奏曲が中学以来の愛聴盤だが、その後聴いたショパンの多くの曲は何か鋭さに欠けた温厚な芸を聴かされる感じでそんなに惹かれなかった。ルービンシュタインを見直したのは、晩年に若い頃のブレヴィンと収録したショパンのピアノ協奏曲第2番のデッカのLDを偶然見てからである。このときはじめて、それまでなよなよとした曲としか感じられなかったこの曲をおもしろいと思った。特に第3楽章のフレージングの「粋」なこと! オーマンディと録音したCDでもこの絶妙の味わいは十分堪能できる。それ以来他の人の演奏ではこの曲はここまで楽しめないでいる。

 ルービンシュタインという人の演奏は一見反射神経は鋭くないし、常に8割ぐらいの力で淡々と曲を弾いていくかに感じられてしまう。その余裕感の背後に海千山千の大芸術家にしてはじめて可能な「芸」の遊び心のようなものを感じられるようになったのはごく最近である。次回に登場するはずのピアノ協奏曲におけるシューマンの演奏も、一見この曲に必要な研ぎ澄まされたパッションから非常に遠い演奏なのだが、その一音一音の余裕感の背後にある熟成されたセンスに妙に魅せられることになる。ちなみにシェリングとのブラームスのバイオリンソナタの録音も、シェリングの清冽なバイオリンの響きと共に純度の高い名演だと思う。

 ここでのピアノ五重奏の演奏もその路線である。テンポとしてはかなり遅め。ルービンシュタインのピアノの音はかなり丸く、全体としては何とも柔和な表情の演奏である。ルービンシュタインのパートナーとして世に出されたと言っていい若き日のグァルネリの演奏も、非常にじっくりと歌わせたソフトタッチ。しかし、もはや現在はもはやこのような様式で演奏して「間が持つ」ような演奏家はいなくなってしまったのではなかろうか? 

 この深々とした余裕感。決してこれは「弛緩」ではないのだ。ルービンシュタインは現在より遥かにゆっくりと流れる、一瞬一瞬を心から堪能するような時の流れを生きてきた人なのだと思う。もとより壮年期のルービンシュタインが遥かに機敏な演奏をした人らしいことを全然知らないわけではないが、何かいい意味での「人生グルメ」の極致を聴かされる気がする。現代における享楽主義は、このような余裕感を失い、何かに駆り立てられるようなものでしかあり得なくなったのではないか。とにかくきいていてほっとさせられる演奏です。カップリングのブラームスの五重奏曲もおなじスタイルの好演なのはいうまでもない。CD一覧に戻る

     

14.アックス/クリーヴランド四重奏団の演奏は1986年のデジタル録音。クリーヴランドは既に演奏活動を停止した団体だと記憶するが、アメリカの四重奏団の中では最も保守的なスタイルを一貫した団体のひとつと記憶している。アックスはソリストとしてはあとひとつの決め手に欠けるが、室内楽のピアニストとしてはかなりの数の録音を出し続けて好演している人。

 ここ十年ぐらいの演奏としては一番オーソドックスなスタイルの演奏のひとつだろう。前述のルービンシュタイン/グァルネリ盤をそのまま近代化したみたいな響きがするのは、あながち同じRCAの録音のためばかりのことではあるまい。デジタル臭さが皆無の、非常に温厚でどっしりとした録音である。もとよりテンポ感や切れ味はあくまでも現代的なものである。

 極めて安定度が高い演奏で、いわば今回紹介するCDの中では中庸の中庸。これは決して悪い意味ではなくて、恐らくこの演奏ぐらい好き嫌いなく受容される演奏はないかもしれない。もとより第2楽章におけるクリーヴランドの弦の響きはやや踏み込みが浅くて私には物足りないが。後半二楽章のアックスのピアノの音色にもあと一歩の洗練が欲しいかなという気ももする。しかし、若い人のファースト・チョイスとしてはルービンシュタイン/グァルネリ盤よりも適切かもしれない。この演奏あたりがクセがなくて一番好きという人も出るだろう。CD一覧に戻る

    

15.たまたま3つ続けてRCA/BMGの録音を並べることになったが、ラローチャ/東京クァルテットの録音は1991年のもの。

 東京クァルテットはアメリカ在住の近代的弦楽四重奏団の中では一番安定した路線を行きつつある気もする。録音で聴く限りは、ラサールの系譜を引き継いだのは、アルバン・ベルク以上にこの団体ではないかという気すらする。ここでは、熟練の本格派、ラローチャの相手方を務めているが、スマートではあるが柔らかい響きの、一見地味だがコクのある演奏を繰り広げている。弦の響きという点では前述のクリーヴランドより細やかな陰影と近代的内面性があるという印象。

 ただ、併録のピアノ協奏曲の方は、指揮のディヴィスの責任もありそうだが、何か反応が鈍くて重ったるい演奏になっている気がする。ラローチャのピアノも、前回紹介した「ヴィーンの謝肉祭の道化」の名演に比べると、技巧の衰えが徐々に始まっている気がしなくもない。ピアノ五重奏の方ではこの点は全く気にならないので、コンディションの問題に過ぎないのかもしれないのだが。CD一覧に戻る

      

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