1.ここ数年のアルヘリチが、滅多にソロの演奏会を開かず、室内楽ばかりに興味を抱いているらしいことは多くの人がご存じだろう。そのようなアルヘリチ中心の室内楽アルバムで二枚組の大物がシューマンの室内楽選集になると思っていた人は少なかったのではあるまいか。しかもヴィオラが今井信子、チェロがマイスキーというそれぞれの楽器のソリストとして超一流の人達が含まれている。もとよりこの人たちはアルヘリチの室内楽の集いの常連のようである。

 しかし、結局、この演奏の、異様なまでに自発性に富んだ精神的オーラを要の位置で支えているのは、やはりアルヘリチだろう。

 発売直後に購入して以来普段はCDウォークマンで聴いていたのだが、その頃には、各奏者の縦の和音が乱れたり、奏法や音色の質が異なること、そしてアルヘリチのピアノがあまりに自在でむら気なことの方が気になって今一つ楽しめなかった。

 しかし、例によって自宅のタンノイのスターリングでじっくり他の演奏と比較して聴き直すと、演奏全体の流れが持つ自発性の奔流が、現代の精緻な弦楽四重奏のそれとは似て非なる、生き物のような生命力にあふれていることの魅力の方を強く感じるようになった。

 合奏力という点でも平均的な四重奏団と比べて特に聴き劣りはしない。寧ろ、多くのピアノ+四重奏団の演奏以上にピアノと弦楽器が「ひとつになって」演奏しているという印象すら生じてきたのである。

 それにしても合いの手を入れるアルヘリチのピアノの切れ味と、一瞬一瞬に新しいものが生み出されると言う感じの即興的なノリの良さは凄い。こういうピアノに相手してもらったら弦楽奏者の方もとてつもなくインスパイアーされざるを得ないだろう。

 実際にはこの演奏をまだお聴きでない方が、たとえばかつてのカザルス組やメニューヒン組などの演奏の記憶を頼りに、味は濃いがどことなく室内楽としては散漫な演奏、ライブで音も今一つで演奏雑音や観客の咳きも多い……などと想像されると困る。ここにあるのは集中力と余裕感、強烈さと安らぎ、スマートさと多様性が共存した、類い希れな現代的演奏なのは確かだ。録音もライブであると全く感じさせないぐらいに雑音のないものである。サラリとしてはいるがデジタル臭さのあまりない自然な音。

 時には控えめに他の声部を支えているかと思えば突然圧倒的に躍り上がるアルヘリチのピアノ(やはりこのダイナミックレンジのすごさはある程度以上大きなスピーカーにしてはじめて余裕を持って堪能できる)だけ取り出しても、この曲でこれだけ凄いピアノはやはり他ではとても聴けない。

 ちなみに、同時に収録されている曲をあげると、ピアノ四重奏曲Op.47(ただしこのピアノはラビノヴィッチ。この曲としてはかなり元気のいい、ピアノ五重奏曲寄りの演奏。悪くない演奏だが、やはりアルヘリチがピアノ弾く時に比べると妙にストレートな印象のみが勝ってしまう。アルヘリチだと荒さに聴こえないものがここでは荒さに聴える)、ピアノとチェロのための幻想小曲集Op.73(ピアノはアルヘリチだがチェロはグートマン。マイスキーに非ず)、ホルン独奏曲としてなくてはならない名曲、ピアノとホルンのためのアダージョとアレグロOp.70(ホルンはノイネッカー。残念ながらピアノはラビノヴィッチの方)、ピアノとヴィオラのための「おとぎの絵本」Op.113(当然ヴィオラは今井。ピアノはアルヘリチ。この作品の第2曲、圧倒的にシューマネスクな「スキップ」が聴けて大好きなんです。この演奏ではやや勢い余っての感もあるが)。

 そして、このアルバムのピアノ五重奏曲と並ぶ聴き物が、バイオリン・ソナタ第2番Op.121。ピアノ五重奏では第2バイオリンをつとめていた若手らしきシュワルツベルグとアルヘリチの演奏だが、クレメルとの精緻な名演とはまた別の味がある。

 シュワルツベルクの、まるでバイオリンのアルヘリチと言いたくなるくらいの即興性あふれる瞬発力あるスリリングで自在な表現。もちろんアルヘリチに触発されてのものだけれども、アルヘリチとここまでフットワーク自由自在に渡り合えること自体、この奏者に何か特別の資質があってはじめて可能なことだろう。ライブのせいもあるだろうが、緩急自在な表現の振幅の大きさという点ではクレメル盤よりおもしろく、この曲でここまで開放的な空間的飛翔感を味わえたことはこれまでなかった。特に第1楽章は曲への認識を改めさせるくらいの注目すべき演奏だと思う。アルヘリチが、名盤の誉れ高いクレメル盤があるにもかかわわらず、この曲の再度のCD化を希望した気持ちは何か想像がくつく。第3楽章の安らぎに満ちた変奏曲の第1変奏のまるでポツリポツリつぶやくような音色の作り方もおもしろい。

 そしてもう1曲、従来ピアノ二重奏の出版されたバージョンのみが知られていた、「アンダンテと変奏曲」Op.46原型2台のピアノと2台のチェロ、ホルンのためのバージョンという特異な編成の曲の恐らく世界初録音。曲の内容もこちらの方がかなり長い。

 実はこの曲を演奏可能なメンバーが今回集められたと言っていいのだろう。チェロ奏者二人にピアノ奏者二人にホルンなんて普通の室内楽演奏会では集めないのだ。

 確かに「室内楽の年」に作られた他の諸作品に比べると、まとまりという点で散漫な気もするが、この曲でこれ以上の演奏はなかなか望めないだろう。いかにもメンデルスゾーンが、「室内楽曲の年」の最後に構想されたこの曲に煮詰まって精神の調子をやや崩しさえしたロベルト(だから同じジャンルばかりにこだわると根を詰め過ぎになるっていうの! 半年の間に自分の室内楽の代表作の大半を書いたんよ!)に、葬り去るには惜しい、ピアノ二重奏曲に作り直したらと勧めたであろう、可憐な室内楽曲ではある。なぜ2台のチェロとホルン付きなどという編成を思いついたのか、何か外的事情でもあったのかどうかは私の手元の資料ではわからないが。

 シューマンは、ベルリオーズほどではないにせよ、交響曲第4番の初稿の第2楽章でギターを導入したりなど、時々突飛な楽器の使い方を思いつくことがあったようだが、たいてい最終稿では見直されたようだ。それでも、ホルン独奏のためのアダージョとアレグロや4つのホルンのための小協奏曲をはじめとして、かなり異色な楽器編成の佳曲も残しているわけで、ここには収録されてはいないが、ビオラとクラリネットとピアノのための「おとぎ話」Op.132(今回取り上げるCDの中ではロベルト・シューマン・アンサンブル盤と、ユボー中心のエラート版室内楽全集盤に収録)などという、今回登場の今井信子も当然のようにレパートリーにしている曲は、古典派や初期ロマン派の第二線の作曲家が大量生産したハウスムジークのように時代に駆逐されずに済んだ、今日かなり頻繁に演奏される魅力的な佳曲である。

 ……何しろ、以上の曲すべてが一晩の演奏会のプログラムらしい。こんな演奏会ならば日本での有名歌劇場来日公演と同じくらいの金を出してもいい気がするが。アルヘリチさん、音楽監督になったという、別府の音楽祭とかでやりませんかね。CD一覧に戻る

   

2.昔からの室内楽ファンの人はきっと最近大量にお買い求めになったであろう、バリリ弦楽四重奏団を中心とする往年のウエストミンスター・レーベルへの録音の、大量のミドルブライスCD化のひとつである。

 モノラル録音ではあるが、録音は超優秀なものが多いことは知る人ぞ知る。昔のLPは聴いていないのですが、正直に言ってこれだけ録音が優秀なモノラルCDは聴いたことがないというくらい。大半の他社の初期ステレオ録音が恥ずかしくて逃げ出しかねない。モノラルなのに音の奥行きが凄くあり、まるで音が左右に広がっているかのように全く自然に音に包み込まれる感じがするのも驚きであった。

 最初にCDウォークマンで聴いたときは、カップリングのピアノ四重奏曲Op.47の方はなるほどとんでもないくらいの名演、昔のヴィーン風の風格ある柔和な演奏スタイルと完ぺきにマッチしている、これほどこの曲が風格ある大曲にきこえた例は他にないと感じたが、ピアノ五重奏曲の方は、あまりにピアノ四重奏曲に引きつけた解釈でおとなしすぎるかな、これでは現代の若い聴衆には物足りなくはないかと感じていた。

 しかしこれまた自宅のタンノイのスターリングにしたらギョッとする羽目に遭う事となった。予想していたよりもレンジ感が遥かに広く、特に低域方向の腰のすわり具合は、最近のデジタル録音すら学ぶべきものがありそうなくらいにズシリとしたホンモノのパワーがあったのである。小さな音量で再生しても「腹に響く」音がしてくるのにはちょっと驚いた。なるほど、ウエストミンスター信者がたくさん出てくるわけである。

 こうなってくると、当初予想していたよりも芯のしっかりした男性的ですらある類い希な腰の据わった構成力のすばらしさという側面が感じられるようになった。やはりこれを弾いている人達は現在のヴィーン・フィルからは想像も付かないくらいに底なしの芸術性を秘めた人達だったのだ。この辺、雑誌などで読んでいたバリリのイメージだけではとても捉えきれないものを感じた次第である。恐らくあちこちのレコード会社をマスターからのコピーのコピーがたらい回しにされてLP化されていた当時には、これほどのクオリティの音はしていなかったのではないかと思う。だから「典雅で柔和」云々という評価のみが一人歩きしたのだろう。

 この人たちは恣意的な表情づけは寧ろしない人達なのだ。小手先の演奏効果など薬にしたくもない。なのに、まるで細部まで計算され尽くしたかのような緻密で圧倒的な完成度と自発性を両立させるのである。確かに現在の演奏ほど快速でも機敏でもない。第3・第4楽章あたりになるともっとアクロバティックな演奏はいくらでもある。でもこの演奏は「穏健」などという言葉は全然似合わないのだ。たいていの演奏よりも「ボディーブローが効いて」、凄く中身の詰まった曲を聴かされたという印象が残るのである。

 もちろん、以前から言われ尽くしてきた、匂い立つような何とも情感あふれる典雅な音色の魅力もすばらしい。こういう音色になると、タンノイのスピーカーは脳髄の変なところをくすぐるような、ほとんど麻薬的な響きを放ってくれるのである。

 当時20代のデムスのピアノも、後の演奏のような引き崩しはなくて、引き締まった清新そのものなもの。あえて、若い人にも、アルヘリチハーゲンと一緒にこっちも聴いてみたらと薦めずにいられない、永遠に古びることのない名盤である。CD一覧に戻る

   

3.この曲の最新の演奏のひとつ。グラモフォンは1995年に、この曲を専属の二組の売り出し中の若手四重奏団に競作させる形となったが、コンセプトはきわめて対照的なものとなった。

 後述のエマーソン四重奏団の方には、プレスラーという、ボザール・トリオで40年(!)の長きにわたってアメリカの室内楽の歴史を築いてきた室内楽ピアノの超大御所の胸を借りることを選んだ。それに対してハーゲン四重奏団の方は、あのフリードリヒ・グルダの息子にしてごく最近売り出したばかりの若手、パウル・グルダをピアニストに選んだのである。

 父親のフリードリヒも、シューマン演奏家として、数は多くはないが、大変味のある演奏をする人だと思う。ステレオ初期にデッカにヴィーン・フィルと録音したピアノ協奏曲の演奏など、その生き生きとした味わいは、現時点でも注目すべき演奏のひとつに入れていいと思う(……などと、次回のネタを少しばらしてしまったではないか)。時には愛人の歌手とアルバムを出したりすることもするが……。

 息子のパウルの方も、無名時代に、実はあのナクソス・レーベルが、ヤンドーばかりに任せずに(笑)、シューマンのピアノ曲集を録音させていたりもするが、この人が幅広く知られるようになったのは、グラモフォンがハーゲン四重奏団とのブラームスのピアノ五重奏曲を録音に抜擢して評判になってからだろう。この人があの指揮者のクライバー親子のように親子に二代にわたるカリスマに成長するかどうかは興味深いものがある(録音キャンセル魔にはあまりなって欲しくはないが)。

 さて、このパウルとハーゲンの演奏は、今回24枚も聴いてみてもひときわ際だつ圧倒的に個性的なものである。この曲、すでに書いたように、曲自体があまりに効果的に書かれていて、いつになくシューマン独特の、独りよがりすれすれで、演奏者の解釈と芸術性でカバーしないと曲としてまともに響いてくれにくい部分が全くに近くないせいか、ある水準の技量があれば結構聴ける演奏になってしまうようで、今回24枚ものCDにランキングをつけるのは一苦労している(現在進行形!)くらいに、似たり寄ったりの印象になりかねない。もとより、ベートーヴェンの「田園」とかですら、カラヤンとベームでは異世界なのだが、シューマンのこの作品は妙に演奏者の個性が一聴してわかりにくい面が強い気はする。これは室内楽という高度な「合わせもの」の性質とも絡むのかもしれないが。

 ところが、この演奏に関しては、CDプレーヤーのスタートボタンを押した次の瞬間から(昔のように「針を置いた次の瞬間から……」という文学的な表現が使えないのが残念だが)、「……こ、これは何なんだ!」と仰天する人がが少なくあるまい。

 ともかく冒頭からして圧倒的に速い。しかもその速さがぜんぜんうるささや乱雑さにならずに、透明ともいえるスマートさと両立しているあたりが、これまでのプダペスト以降のヴィルトゥオーゾ四重奏団の演奏とも異次元なのだ。音が不要にだぶついたり暴れたりすることが皆無なのである。全然キツイ音がしない。念のためにいうとカラヤン的な「流線型」スタイルとも違うリズムやアクセントは実に細やかに「決め」があるのだ。軽やかで一見クールだが表面的にはならない。脂ぎった「精力的」と言うのとは全然ちがう。このへん、ホントに口で説明する限界を感じてしまう。

 さすがにこのテンポでは第2主題のあたりがせかせかと速すぎる、もっとじっくり歌わせてくれという人も出てくるかもしれない。この辺でこの演奏を投げ出す人は投げ出します。しかし、最初聴いたときの驚きと違和感を乗り越えて、この曲についての既成の演奏で染みついたイメージを一度カッコにくくって聴き始めると、実はこの演奏、ただ快速なだけではなくて実は非常に現代的な細やかなデリカシーと両立している「繊細な」演奏でもあることが感じられてくるかもしれない。寧ろ第2主題の前の経過句の方が、よほど丁寧に弾き込まれ、細やかなテンポや表情コントロールを受けていたりするのだ(パウルのピアノに注意)。

 このCDは、最近のグラモフォンの4D録音の長所が出た、非常に繊細で細やかな音質、この曲の現時点での最優秀録音。前回の「ヴィーンの謝肉祭の道化」で取り上げた超優秀録音、ピリスのものと音質が近似している。演奏会場も録音スタッフも別だが、ひょっとしたらピリスのの方、グラモフォンに一時期見られたという「隠れ4D録音」なのではないか。

 そのような録音技術の緻密さ・繊細さに助けられている面があるかもしれないにせよ、パウル・グルダとハーゲンの面々がかなりの討議を重ねて、旧来の演奏スタイルに全くとらわれない、今に生きる若い世代の自分たちの感性にとことん忠実な演奏を生み出そうとしていることは間違いない。アルバン・ベルクあたりですら彼ら・彼女ら(女性奏者もいるようなので)にとっては「オジサン」そのものなのではなかろうか。24枚も集めてみて、常設の弦楽四重奏団で、明らかに他とは違うひとつの世界があると明言できるのは、録音の時点ですでにやや技巧の衰えが出ているスメタナの新盤を別にすると、前述のバリリ盤とこのハーゲン盤という新旧の演奏ということになってしまった。

 これに比べると後述のエマーソンの演奏はかなりコンヴェンショナル路線で、受け取りようによれば過去を向いているといえる。現代におけるコンヴェンショナルな演奏としては第一級の風格と余裕あるもので、現時点ではエマーソン盤の方が楽しめるという人の方が多数派ではないかとは思うが。このあたり、グラモフォンが会社の方針として「二またかけた」のだとすれば、何ともしたたかな戦略だと思う。ともかく、この同じ会社の同じ年の最新録音の2枚を買ってきて、どちらが好きかと議論したらクラシック好きサークルなら盛り上がること請け合いである。

 だが、この演奏の歴然たる個性と過激さに誰もが唖然とするのは、第1楽章以上に第2楽章だろう。すでに「曲の解説」の項でも触れたように、第2楽章のアジタートの部分からしばらくが「……えっ?……えっ!」と思わず声を上げたくなるくらいに凄いのである。アジタートのはじめの方、あの圧倒的なピアノと弦楽器の掛け合いの部分は、むしろ多くの演奏よりスマートで快速でクールである。

 問題はむしろその後、葬送行進曲に回帰したあたりからなのだ。この部分が直前のアジタートの部分を引きずって劇的に演奏されるのが通例ということはすでに書いたとおりだが、どうも「劇的」ということについて、オジサン世代は、演歌のようにたっぷりと詠嘆的に物々しく生々しく歌い上げねばならないという方向のみに解釈しがちだったようである。ハーゲンのそれは、恐るべきスピード、しかも寧ろ重量感から解放された「一塵の風のような」演奏としてこの部分を演奏するのだ。しかしこのスピード感は、重々しく詠嘆的にやるのとは全く異なる形で、曲のこの箇所が、前後とは全く異なる「常ならぬ」心理状態にあることを示してくれているようにも思う。何かフィッシャーディスカウが歌う「冬の旅」の「菩提樹」の中間部の、一陣の風で旅人が翻弄される瞬間の表現の、物々しくないが故の乾いた近代的心理表現にも通じる気がする。

 この第2楽章全体が、一見細身の線でさらりと描くかのようでいて、実はひとつひとつの音への気遣いのデリカシーが実に細やかという気がする。第1副主題の繊細な音色感覚など他の演奏に全く見られない水準のものだ。このような質の「一見乾いていて距離を置いているかのよういながら実は細やかなひだのある」寂寥感の表現は、ある年代より若い人によってはじめて表現でき、共感される質のものではなかろうか。

 第3楽章は予想外に押さえの効いた表現でやっている気がする。冒頭のピアノの上昇音階にこたえる弦の総奏のレガート気味の表現は他の演奏にはないものである。何も考えていないのならばここぞとばかりにこの楽章で「飛ばす」はずである。快速ですっきりしてはいるが、常に響きをコントロールした精妙な解釈。

 終楽章も驚くぐらいに精妙な音色のコントロール(たとえば展開部後半の旋律cを支える伴奏のヴィオラの音色感覚!)と、軽快でありつつ繊細なリズム感が両立した名演。コーダのフーガの冒頭で、ピアノが単音で主題を提示するとき、パウルはペダリングを工夫しているのだろう、はっとさせられるくらいに鮮やかなスコーン! と抜ける響きをここぞとばかり作ってくれる。やはり、この人、将来大物になると思います。

 カップリングのシューマンの弦楽四重奏曲第1番も更にハーゲンの音色感覚のすごさとフットワークが際立つ、超名演。冒頭の序奏部をここまで細やかに意味深く演奏した例を私は聴いたことがない。早く2番・3番も録音して欲しいものだ。イヤ、それどころか、あえていえば、もしグラモフォンがシューマンの室内楽全集を作るとすれば、是非、このパウル・グルダとハーゲンの面々中心にやらせるべきである。未来を見据えた画期的なものになる予感がする。CD一覧に戻る

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