4.自分自身の声を聴く


   *「感じ」自身はどんな「感じ」でいるのか

 実は、前節で述べた、自分の中の感じと「一緒にいられる」関係づくりをして、しばらく実際にその感じと無理なく一緒にいられる心地をしばらくの間でも体験できるとするならば、それだけで、日常の中での自分の中に生起する「感じ」との関わり方とは決定的に異なる、重要な体験をしていることになる場合があります。
 「自分」とは、まさに「私」でいられる「部分」「居場所」「領域」が、確かに自己の体験世界の中に、分離独立して確保できているという体験的感覚とも言えます。それは、

「<私>はここにいる。<その感じ>はそこにいる(”I”am here,"It"is there.)

という体験であるとも言えます。
 そうやって、「感じ」と「自分」が、分離しつつも「共にいられる」というスタンスそのものが、多くの人にとって、日常にはない、新鮮で、独特の安堵を生じさせる、「自分」を取り戻させてくれる体験となることがあるのです。
 そして、その人の、日常の中での物事の体験のありようを、さりげなく、しかし、それまでにあり得なかったような着実な仕方で、少しずつ変化させはじめる場合があります。

 しかし、こうやって「感じ」とともかく同じ空間に「一緒にいられる」関係を作った上で、次に、その「感じ」と対話を進めることで、はじめて心の安堵が得られる場合も少なくありません。
 ただし、この「感じ」との対話は、ここまで述べてきた「感じと一緒にいる」関係づくりが十分にできている場合に、はじめて有効に機能します。

*** 

 ここでは、そうやって一緒にいられるようになった感じを前にして、次のように内側に問いかけます。

「では、その『感じ』そのものは、どんな感じでいるんだろうか?」

 これは、「あなた」が、その感じについてどう思うかではありません。「その感じ」そのものが、どんな感じでいるのかを感じてみるのです。

 「感じ」そのものを、まるで、自分の中に住んでいる、自分から分離独立した命と意志を持った生命体か何かのようにみなすのです。ちょうど、あなたの目の前に座っている人自身はどんな気持ちでいるのかについて、感情移入してみたり、問いかけてみたりするつもりで。

 これも誤解されがちなことですが、恐らく、感じそのものは、すぐに言葉で答えてくれはしないでしょう。
 初対面の、シャイで臆病で、こちらのことを警戒している無口な子供を相手にするかのようなつもりになってみるのがいいかもしれません。その子供は、「どんな気持ちなのかな」「何が欲しいのかな」などと尋ねても、身を固くしてむっつりとしたままこちらを見ているかもしれませんし、それどころか、視線すら合わせてくれないかもしれないのです。

焦らないで。無理矢理言葉を引き出そうとし過ぎないように。

 仮に「感じ」そのものが言葉で答えてくれなくても、その「感じ」の側から、暗黙のうちに、ある漠然とした「ムード」「気配」のようなものは伝わってくることが少なくないものです。ちょうど、他人の表情とかから相手の気持ちを察そうとするようなものです。

 どうも、「感じ」の側は、何かあなたの方をまっすぐ見つめてくれておらず、不信の目を向けてきているかのように、「あなた」には感じられたとします。
 そしたら、

「何か、不信の目みたいなものをこちらに向けられているかのように、僕には感じられたんだけれども」

などと、「感じ」に向かって言葉をかけてあげることはできるかもしれません。

 この場合、「あなた」のがわから決めつけてはいけません。
「感じ」の側が、あなたの感情移入的な理解を受け入れるかどうか、反応を伺ってみるつもりになるのです。
 これまた、「感じ」そのものは、言葉では返答しないかもしれません。何か「表情」や「態度」で返してくるかもしれません。

  1.  まるで「感じ」そのものがこくりと肯くかのように、ある「肯定的な感触」が「感じ」から「あなた」に向けて帰ってくるかもしれません。
  2.  あるいは、「感じ」そのものが、むくれたり、イヤイヤするかのようにして、ある種の否定的なトーンが、「感じ」から「あなた」に返ってくる気がすることもあるかもしれません。

そうした場合には、そのようにして「感じ」から「あなた」に返ってきたと感じられた反応そのものを、改めて「感じ」に投げ返してあげます。

  1. 「何か、『そうだよ、<おまえ>のことなんか信じられない』よと答えてくれた気もしたんだけど」
  2. 「何か、『ちがう、そんなんじゃない』って態度で示されている気もしたんだけど」

このBの場合には、更に慎重に、

「『不信感』ではないとすると、何なのかな?」

と尋ねて、じっくりと、「感じ」の側から、何か言葉が浮かび上がってくるのを待つこともできるかもしれません。

すると、しばらくすると、例えば、「感じ」の側から、

「『不信感』ではないの。『放っといてよ』というか……」

などという返事が返ってきたと感じられる時が来るかもしれません。

  「感じ」と「あなた」との対話は、これくらいデリケートに、少しずつ進みます。「感じ」のいうことをじっくりと聞き取り、ありのままに受けとめようという姿勢でいる限り、本当に少しずつ、「感じ」の側は、「あなた」に打ち解けてくることでしょう。
 自分と対話することが、こんなに繊細で、慎重にしか進められないプロセスであることにあなたは驚くかもしれません。
 そして、「感じ」から「あなた」への返答が、「あなた」の予想を越えた、意外な答えであることに面食らったり、逆に「なんだそうだったのか、もっと早くいってくれたら良かったのに」といいたくなることすらあるかもしれません。

 あなたの中の「感じ」は、まさにあなたの中に住む「他者」なのです。
 そして、その「他者」と、少しずつ心が通じ合えることは、それがどんなに予想外の展開になっても、「あなた」自身を安堵させ、長年の胸のつかえを少しずつほぐしてくれる経験となることでしょう。

  フォーカシングの開発者、ジェンドリンは、「クライエントのクライエント」という論文(邦訳は本邦未公刊。吉良安之先生の私訳がフォーカシング関係者に流通しています。ジェンドリンの、非常にわかりやすくて重要な論文のひとつなのに、多くの人の目に日本語で触れないままなのがたいへんに残念なことだと感じています [09/11/18現在])の中で、フォーカシングとは、自分自身の中にいるクライエントとしての「感じ」に対して、クライエント・センタード(ロジャーズの来談者中心療法カウンセリング)的なセラピスト的な「聴き手」になることだと述べています。
 ふだん、我々自身が自分の中の「感じ」に対して取っているのは、一方的に解釈や分析や説教を押しつける「指示的(directive)」なセラピストとしての態度をとっているのです。「あなた」からのそのような「押しつけ」の何年(何十年)にも及ぶ繰り返しに対して、「感じ」の方は、黙り込んでしまい、自分の「本心」を「あなた」に語ることを普段は諦めてしまっています。
 そういう「感じ」の気持ちを再び「あなた」にうち明けさせようというのですから、順調には進まないことは、むしろ覚悟していただいた方がいいかもしれません(^^)。

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「感じ」からメッセージを引き出すための問いかけは他にもあります。

例えば、

「『その感じ』は、どのようにありたがっているのかな?」

これは、その感じをあなたがどうしたいかではありません
 恐らく、「感じ」そのものは、現状では、常にある不全感のようなものを抱え込んでいます。何か、無理な、中途半端な所に押し込まれているのです。
 その感じが、もっとのびのびと、本来求めている方向性に自然に発現させたら、どのような状態を求めるだろうかを、虚心に感じてみるのです。結構、予想外のものが返ってくるかもしれません。

「『その感じ』がすっかり解消されたら、あなたはどんな気分でいられるだろうか?」

これはAとは逆のアプローチです。取り敢えず、とことん、「その感じ」がそこにあることをいやがっている「あなた」の立場に立って、その「感じ」が雲散霧消してくれたら、どんな気分や居心地で自分がいられるか、振る舞えるかを内側で想像してもらうのです。
 現時点では、どうすれば「その感じ」が生じて来ずに済むようになるのか見当がつかなくてもかまいません。いきなりあなたの理想的な居心地についての想像の世界に仮に飛び込んでしまうのです。
 そして、しばらく、その「こんな感じになれたらいいのに」という理想状態と「あなた」が感じる感じの方を味わってみます。このことだけでも少しだけ一息つけることはあるでしょう。

 次に、先ほどから待機させておいた、自分としては「なくなって欲しい」と感じている感じそのものの方に、次のように問いかけます。

『私』としては、『こんな』感じでいたいわけなんだけど、どうして『こんな』感じではいさせてもらえないのかな。そっちに言い分があるなら、ききたいんだけど」

このような聞き方をすると、「その感じ」のがわも、しばらくするうちに、結構、その「言い分」を語ってくれて、それをきいたら、「あなた」のがわも「なるほど」と思えることがあります。

「おれとしては、『こんなふうに』すっきりしたいんだけど、どうして『おまえ』のようなモヤモヤがでてくるわけ?」

「その感じ」はしばらくすると、例えば、次のように答えるかもしれません。

「そんなすっきりした、自由な空間が与えられたら、何をしたらいいのかわからなくなって、逆に不安になってしまいそうで。まるで着ているものを引き剥がされて、丸裸で知らない外国の町に放り出されたような気分になりそうだよ」

……とか。

  内なる感じに問いかける 

 


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